2006.03.25. (Sat)
モリサワの「A1明朝」と写研の「石井中明朝体オールドスタイル」 [Typography]
右は写研書体の印字見本です。クリックして大きい画面で見てください。上が「石井太明朝体オールドスタイル」、下は「石井中明朝体オールドスタイル」。
3月1日にモリサワの「A1明朝」について書きました。ぼくが写植専業会社で、デザイン事務所からの依頼の仕事でさかんに「A1明朝」を使用していたのは1970年頃だったと思います。「A1明朝」は新聞や雑誌広告、パンフレットのボディコピーで主に使用されましたが、実はデザイナーが望んだのは、写研の「石井中明朝体オールドスタイル」、コード名「MM-A-OKL」でした。
大阪では、本社のあるモリサワのシェアが圧倒的に多く、写植専業会社のマシンはほとんどがモリサワでした。写研のマシンを導入していたのは、書体にこだわるデザイン事務所が自ら導入するケースでした。ですから、大手のデザイン会社は大量の写植需要を外部の専業会社に頼らざるを得ず、「A1明朝」を使っていました。
モリサワのマシンは写研機に比べると軽く、操作性にも優れていました。それに比べて、写研のマシンは「SK-3RY」と言いましたが、大きさも重量もあり操作性も悪く、またよく故障したものです。故障すると写研のサービスマンに来てもらい、修理、調整をお願いするのですが、ぼくはそれを横で見ていて、たいていのことは覚えました。それからは、大阪のJR環状線の鶴橋と玉造の中間にあった写研の営業所へ直接部品を買いにいったものです。
1975年頃、写研から「PAVO-8」という、「SK-3RY」に比べるなら画期的に操作性のよい新しいマシンが出ます。そのころには、デザイナーの写研書体への要望も強くなり、写植専業会社も写研マシンの導入をすすめざるを得ない状況になっていきます。
1977年にはぼくはフリーランスの写植オペレータとして、西区新町に事務所を持ちました。マシンはもちろん、写研機です。最初は仕事がなくて大変でしたが、グラフィックデザイナーの人たちに存在が知られるようになると仕事の依頼も増えました。
当時のデザイナーの書体指定で一番多かったのが、タイトルを「石井太明朝体オールドスタイル」、ボディコピーを「石井中明朝体オールドスタイル」でした。もちろん、ツメ印字での納品でした。これらの書体を「フトミンオーケーエル」、「チュウミンオーケーエル」などと呼んでいました。上の印字見本はぼくがデザイナーの人たちに配布したものの原本の一部をスキャンしたものです。ぼくが直接印字した印画紙の原本を未練がましく、いまだに持っています。
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Posted by sugiya at 00:32
